コラム

【睡眠と夢の脳科学】眠りは心と脳にどのような影響を与えるか。

 誰の身近にもありながら、その詳細な仕組みはほとんど知られていない「睡眠」。本稿では、そんな睡眠が心や脳に与える影響についてみていく。

【目次】
1.睡眠を奪う実験とその影響
2.生物に共通している睡眠活動
3.レム睡眠とノンレム睡眠
4.なぜヒトは夢を見るのか
5.睡眠中は最も「ひらめき」が起こる時間
6.少しずつ解明される睡眠の謎

1.睡眠を奪う実験とその影響

 1952年、朝鮮戦争当時の出来事。中国軍の捕虜となったアメリカ空軍兵たちの行動は、非常に奇妙なものだった。ありもしない戦争犯罪を告白する者や、アメリカを放棄すると書かれた宣誓書に署名する者、共産主義を擁護する発言の録音に応じる者などが現れた。その数は、捕虜となった兵の60%を超えた。これを受けたアメリカのCIAや軍情報部では、新種のドラッグ説や電場を利用した説などいくつもの説が唱えられた。数年後に明らかになったのは、中国軍が用いたのは米軍兵を「眠らさない」という方法だった。これは、古来ローマより盛んに行われていた方法である。

 かつて、KGB(旧ソビエト連邦国家保安委員会)によって睡眠を奪われる拷問を受けたメナヘム・ベギン(※後のイスラエル首相)は、自身の手記で次のように記している。

 「望むのは、「眠りたい」ということだけであった…(中略)「飢え」や「渇き」ですら、かなわないのではないかというほどのものである。尋問者が「眠らせる」と約束さえすれば、言われるままに何にでも署名する、そんな捕虜が何人もいた。解放すると約束されたわけでも、満腹できるだけの食べ物を与えることを約束されたわけでもない。署名すれば「眠りを妨げない」と約束されただけだ。」
(出典:白夜のユダヤ人―イスラエル首相ベギンの手記

 睡眠を奪うという拷問は、身体的痕跡が残らない上、知的機能に恒久的な変化をもたらすこともないため事後の証拠を押さえにくいという利点がある。

 ヒトは、どれくらいの時間、眠らずにいられるのか。世界最長記録といわれているのは、1965年にランディ・ガードナーによって達成された11日間である。当時17歳だったガードナーは、特に深い意味もなく記録に挑戦した。はじめのうちは不機嫌になり、怒りっぽくなる、動作がぎこちなくなるといった様子が見られた。時間が経つにつれて、自分はプロフットボール選手であるという妄想を抱くようになり、幻視(自分の寝室から森に向かう道が見える)といった現象が見られるようになった。
 こうした現象は、15時間ほど眠るだけでほぼすべてなくなった。身体面にも認知や感情の面でも、障がいが長く続くようなことはなかった。

 断眠の実験は、ラットを用いて行われたこともある。ラットを全く眠らせなかった結果、絶命するまでの期間は3~4週間だった。
 睡眠をとらない場合に脳の細胞がダメージを受けることは、イヌの断眠実験でも確認されている。長時間の断眠を行ったイヌは、脳内の神経細胞が傷ついたり死滅したりしていた。睡眠をとらなければ、脳の機能が低下するだけでなく脳が傷つき、いずれ個体の死に至ることがこれらの実験で明らかになった。
 なお、睡眠が妨げられたことでヒトが命を落としたという科学論文は現在のところ発表されていない。ただし、第二次世界大戦中のナチスの実験や、19世紀の中国で睡眠を奪う処刑があったとの報告もある。これらによると、ヒトの場合も3~4週間にわたって眠らない場合は命を落とすともいわれている。

2.生物に共通している睡眠活動

 睡眠は、霊長類や哺乳類のみならず、爬虫類や両生類でも確認されている。また、ザリガニやショウジョウバエ、ミツバチのような無脊椎動物にも睡眠らしき状態があることが分かっている。

 ライオンやジャガーなど、食物連鎖の頂点に位置する哺乳動物の睡眠時間は長く、1日に12時間ほど眠る。これに対して、シカやアンテロープ(※ウシ科の動物)など広い場所にいる草食動物の睡眠時間は大幅に短い。なお、同じ草食動物でも地上性のリスやナマケモノなどのように長時間にわたって眠る動物もいる。これらが示しているのは、「天敵が少ない動物ほど睡眠に多くの時間を割くことができる」という点である。

3.レム睡眠とノンレム睡眠

 睡眠には、レム睡眠とノンレム睡眠の2種類がある。レム(REM)とは、高速眼球運動(Rapid Eye Movement)のことで、睡眠中に眼球がまぶたの下で素早く動く状態を指す。レム睡眠は、身体がリラックスしていて高速眼球運動が起こっている浅い睡眠状態をいう。一方、ノンレム睡眠は高速眼球運動のない深い睡眠である。睡眠中はこの2種類が交互に訪れる。
 レム睡眠中の夢は、起きる直前の夢であることからも内容を覚えていることが多い。レム睡眠は90分周期で、1回10分~30分程度にわたって現れる。レム睡眠に費やす時間の割合は、誕生時には50%だが壮年期には25%に低下し、高齢になると15%にまで低下する。この現象は、イヌやネコ、ラットなどにも共通して見られる。レム睡眠は最も原始的な哺乳類であるカモノハシやハリモグラでもみられるが、爬虫類や両生類にはみられない。

4.なぜヒトは夢を見るのか

 ヒトが夢を見る理由は、明確には分かっていない。ただし、睡眠中の脳が行うことの1つに、起きているときの行動や記憶を再現、整理し、必要な情報を定着させることがある。夢は、その活動に関わっている可能性がある。学校の勉強などで昼間はどうしても覚えられなかったことが、一晩寝るとあっさりと暗記できたという経験がある人も多いかもしれない。これは、定着の成果である。研究によると、学習後にすぐ眠ることで記憶の固定に効果があることが分かっている。また、眠る前に集中して考えていたことは睡眠中にそれだけ強い記憶となって保存されることが知られている。なお、単語を覚えるようないわゆる勉強(知識)の記憶だけでなく、身体の動かし方などの運動の記憶も眠ることで記憶に残りやすくなる。(関連記事:記憶の仕組み

 睡眠中の脳では、覚醒中に見られるα(アルファ)波が出ているだけでなく、記憶を担う海馬からは記憶処理中に見られるθ(シータ)波も出ているという研究結果がある。

 睡眠中の記憶の整理や定着に夢が関係するのであれば、なぜ日常ではありえない荒唐無稽な夢を見るのか。これは、海馬や大脳辺縁系といった記憶に関わる部分が覚醒しているものの、論理的な思考や判断を担う前頭前野は眠っているためだと考えられている。それゆえ、海馬に保存された記憶などが無秩序に現れても違和感なく受け入れてしまう。

【非活動的な部位】
①前頭前野:覚醒時は論理的な思考や判断を司る。
②頭頂葉:空間処理などに関わる。

【活動的な部位】
③視床下部:睡眠状態へ移行させる。
④扁桃体:原始的な感情を司り、夢の中の感情を生み出す。
⑤海馬:長期に貯蔵するべき情報を大脳皮質に送る。
⑥視覚野:目で見ていないにもかかわらず、心象をつくる。

⇒睡眠中、感覚や情動に関わる部分は活発になり、論理的な判断に関わる領域は抑制される。

 夢を無秩序なものにする睡眠中の出来事、たとえば別の日の記憶が突然差し込まれることもまた、意味のあることだと考えられている。これは、意識的には気付けなかったひらめきにつながる。たとえるならば、ビジネスにおいて新しい企画をつくろうとするときにあえて全く異なるものを組み合わせることにも似ている。(いわゆるブレーンストーミング型の会議がこれにあてはまる。)

5.睡眠中は最も「ひらめき」が起こる時間

 歴史に名を残す天才的な芸術家や小説家、科学者たち曰く、眠っている間に見た夢が偉大な芸術作品や常識を変えてしまうような科学の発見・発明につながったことは少なくない。
 たとえば、名画「記憶の固執」などの多くの作品を描いたスペインの天才画家であるサルバドール・ダリ(1904~89)は、夢でみた光景を絵に描いたという。また、名作「ジキル博士とハイド氏」を書いたイギリスの作家であるロバート・ルイス・スティーブンソン(1850~94)は、この小説のテーマとなる二重人格の元になる夢を見たという逸話を残す。ビートルズのポール・マッカートニーは、代表曲である「イエスタディ」のメロディーを夢から覚めたときに思いついた。
 科学の世界でいえば、ドイツの化学者であるアウグスト・ケクレ(1829~96)は、原子がつらなってヘビのように動き、頭の部分が尾の部分にかみついた姿を夢にみて炭素原子6個が六角形状の構造に並ぶベンゼン環(※1)を思いついたという。
(※1.ベンゼンは19世紀の普及したガス灯から発見された分子で、その形は発見からしばらくの間は不明だった。ドイツの化学者アウグスト・ケクレが自身の夢をきっかけに思いついたといわれている。)
 工業の分野では、アメリカの発明家、エリス・ハウが眠っているときにミシンの発明にとって最も重要な発想である“ミシン針の先端に穴をあけ、そこに糸を通す”ということを思いついた。

 ヒトが得たさまざまな記憶(知識)は、大脳の外側の層である大脳皮質に分散して保存される。ヒトの大脳皮質には、多くの神経細胞がある。神経細胞はつながりあっていくつものネットワークをつくる。その中の特定のネットワークに電気信号が流れると、分散して記憶していた大脳皮質の神経細胞が同時に活動することになり、まとまったひとつの記憶として思い出される。
 ヒトが目覚めて活動しているときは、その時々で必要なこと以外に注意が向かないよう、必要な脳内の神経ネットワークのみが選ばれ、他の不要な情報は意識にのぼらないように抑えられている。しかし、夢を見る睡眠(レム睡眠)中ではこの抑制がはずれ、起きている間には結合が抑えられた神経細胞もネットワークに組み込まれてくる可能性がある。これらの神経細胞の活動によって、目覚めている間はつながりあうことのなかった記憶どうしがつながり、通常では考えられないような記憶の組み合わせが生じて斬新なアイディアがひらめくのではないかと考えられている。

 レム睡眠中の脳(②)では、目覚めているときの脳(①)では起こらなかった神経細胞どうしのランダムな結合が生じるようになると考えられている。
 専門的な知識や経験があればあるほど、より斬新なアイディアが生まれると考えられている。

 睡眠がひらめきを高めることを確かめる実験が行われた。ドイツのリューベック大学のウルリッヒ・ワーグナー博士の研究チームは、数列をつくる問題を使って実験を行った。出題される数列はいずれも数字の並び方に共通の法則が隠されており、この法則に気づいた者は問題を早く解くことができる。
 ワーグナー博士は被験者たちに数列の練習問題をこなしてもらい、その後で睡眠をとってもらうグループと、起きていてもらうグループとに分けた。その後、被験者に再び数列の問題を複数解いてもらい、法則を発見する割合を比較した。すると、睡眠をとったグループでは起きていたグループよりも2倍以上高い割合で法則をみつけることができた。なお、睡眠をとったがそれ以前に練習問題をこなさなかった場合は、法則を見つけられる割合が睡眠をとらなかったグループと変わらなかった。この結果から、練習問題についての記憶の神経回路が睡眠中に何らかの変化を起こし、問題の背後にある法則をみつけることができたと考えられる。

 また、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校のデニス・カイ博士の研究チームは、実験によって言語の分野でもひらめきの度合いが高まることを確認している。この実験では、睡眠をとらなかったグループとノンレム睡眠をとったグループの正答率は睡眠前と変化がなかったが、レム睡眠をとったグループは正答率が40%向上した。

6.少しずつ解明される睡眠の謎

 ヒトに限らず、多くの生物に必要不可欠な睡眠。しかしその実態や仕組みは、現在も未だ不明な部分が少なくない。
 睡眠が日々の健康に重要であることは、紛れもない事実である。これからもヒトは、快適な毎日を過ごしていくために、睡眠と上手につきあっていかなければならない。 

関連書籍

◆参考文献
大人のための図鑑 脳と心のしくみ
脳力のしくみ―記憶力,直観力,発想力,天才脳など (ニュートンムック Newton別冊)
脳はいいかげんにできている: その場しのぎの進化が生んだ人間らしさ (河出文庫)

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