コラム

なぜ親は子を溺愛し、虐待するのか【親と子の脳科学】

 先日、就職活動中に産んだ乳児を殺害し、遺体を公園に埋めた疑いで元女子大生(23)が逮捕された。容疑者は警察の調べに対して、「赤ちゃんがいると、わたしの夢がかなわないと思った」などと話した。

 乳幼児の虐待や殺人(過失致死含む)の事例は、後を絶たない。たとえば先月には自宅で生後1ヶ月の娘が「泣きやまない」としてドアに叩きつけたり、胸や腹を拳で殴るなどして殺害した疑いで父親が逮捕されている。また、昨年には「1歳児にエアガンを連射」という虐待のニュースも報道されている。

 乳幼児の虐待の原因は、多岐にわたる。たとえば、家族間のストレスや経済的な問題、育児不安、親もしくは子の病気や障害、精神的に不安な状態、不安定な夫婦関係、親自身の虐待された経験など、さまざまである。

【目次】
1.親と子の関係
2.脳科学の研究結果が示す「攻撃」と「育児」の切り替え
3.内側視索前野中央部「cMPOA」の役割
4.虐待がなくなるための研究への期待

1.親と子の関係

 ヒトに限らず、高度な哺乳動物は未成熟な状態で生まれ、大人の助け経て成長していく。親の役割は授乳(食事の提供)だけでなく、保温や衛生管理、危険からの保護、教育に至るまで幅広い。乳児は栄養や衛生環境が整った環境であっても、親の接触(愛情)が無い場合には生存率が著しく低くなることがさまざまな研究によって知られている。

 乳児や幼児は親を慕い、親の後を追い、親の姿が見えなくなると不安になって泣きだす。親は子を育て、子は親に育てられる。

 多くの人は、「親と子の間には強い絆があって、子が生まれたときから愛情で結ばれている」と考えがちである。しかし冒頭で述べたように、さまざまな事情から育児放棄や虐待などの問題も少なくない。また、「親が子を育てるのは当たり前」という(一部の偏った)考えから、「子育てはできて当たり前」と誤解されることが多い。しかし統計をみれば、たとえば野生動物でも初産の生存率は低く、生物学的な観点からは決して「子育てはできて当たり前」ではないことが分かる。

 多発する育児放棄や虐待には社会的、経済的、精神的な要因があり、ケースによって異なる。ここでは、脳科学の観点から親の子に対する攻撃性や育児についてみていく。

2.脳科学の研究結果が示す「攻撃」と「育児」の切り替え

 マウスを用いた研究によると、脳内の視床下部の前方に位置する“内側視索前野(ないそくしさくぜんや)”の中央部である「cMPOA」という小さな部位が、子育てに大きく影響していることが分かっている。なお、この「cMPOA」の役割について触れる前に、「オスの子殺し」という現象について触れておく必要がある。

 「オスの子殺し」とは、1匹のオスのリーダーを頂点にした群れを構成する一夫多妻制の動物種にみられる現象である。リーダーが新しいオスに倒されて群れのリーダーが交代すると、新しいリーダーは前のリーダーの遺伝子を受け継いでいる子を皆殺する。そしてこれをきっかけに、群れのメスが発情して交尾を始めるようになる。こうした現象は、より優秀な遺伝子(つまり群れのリーダーになれる遺伝子)を複製するための生物学的な適応的行動である。

 新しいリーダーの子が生まれると、オスは子殺しをやめ、子どもを守り、育てるようになる。こうした変化は、「父性の目覚め」と呼ばれている。

 この父性の目覚めは、今から50年以上も前にハヌマンラングールというサルで確認されている。また、ゾウアザラシやライオン、ヒヒやマウンテンゴリラ、そしてマウスでも同様に確認されている。

 半世紀以上も前から知られていた「父性の目覚め」だが、その詳細なメカニズムまでは解明されていなかった。このメカニズムの解明のきっかけとなったのが、上述した「cMPOA」という小さな部位の存在である。

3.内側視索前野中央部「cMPOA」の役割

 内側視索前野中央部(cMPOA)は、子育てに不可欠な部位である。この部位の機能が抑制されると、子育て経験を積んだ母親マウスでさえ自分の子を殺してしまうことが研究によって明確になっている。

 cMPOAは、「なぜ親は育児を行うか」という問いの脳科学的な答えのひとつである。それでは、「なぜ親は子を攻撃(虐待)するのか」という問いの脳科学的な答えはどのようなものだろうか。

 ひとつは上述のcMPOAの抑制や欠如といえるが、もうひとつはBSTrh(分界条床核菱形部(ぶんかいじょうしょうかくりょうけいぶ))という、広義の扁桃体に属する脳部位に関係している。

 研究によると、オスのマウスではBSTrhが子のマウスに対する攻撃性に関係することが分かっている。すなわち、BSTrhが活発であればあるほど、親は子を攻撃する。BSTrhの動きを抑制した実験では、それまで子に攻撃をしていたマウスの攻撃頻度が減少した。また、子育てに影響を与えるcMPOAの動きを抑制すると、それまで子育てをしていたマウスは全く子育てをしなくなり、さらには子を攻撃するようになった。

 これらの結果から、cMPOAは子育てを促す部位であり、活発になることで子を攻撃するBSTrhを抑える役割を果たしていることが分かる。

 なお、オスのマウスがメスと交尾し、同居するようになると、それ以降は子育てをするようになることが確認されている。交尾をしたオスは、交尾をしていないオスと比べて子への攻撃性がなく、子育てを行うようになる。

 このように、オスの子に対する攻撃性の有無は交尾の経験の有無によって異なることがマウスの実験によって分かっているが、冒頭の事例のようにヒトが自身の子を攻撃(虐待)するメカニズムに当てはめることはできない。(ヒトの女性の妊娠・出産には原則として性行為が必要であるため)

 上記の研究結果で明確になっているのは、育児を促す部位と攻撃を促す部位が存在しているという点であることに注意が必要である。

4.虐待がなくなるための研究への期待

 育児放棄や虐待には、社会的、経済的、精神的な要因、さらには脳科学的な要因などさまざまなものがある。

 ここまでに触れてきた研究結果は主にマウスを対象として行われたものであるが、同じ哺乳類であるヒトにも当てはまる可能性はある。(当てはまる可能性があるからこそ、実験では多くの場合にマウスが用いられている)

 もしも今後の研究が進み、ヒトのcMPOAを活性化させてBSTrhを抑え、子に対する攻撃性をなくす研究が進めば、虐待がなくなり、誰もが子どもを愛して健やかに育てられるようになる時代がくるかもしれない。

【参考文献・参考サイト】
・子どもの虐待防止センター
親子関係をはぐくむ脳のはたらき-子育てと愛着の相互作用-
親子のつながりをつくる脳 vol.2

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