コラム

【特別編】YAMAHA(ヤマハ)128年の歴史にみる技術の性質

「ヒトの脳」と「技術」

現在のヒトを含むホモ・サピエンスの脳は、今から3万年ほど前に形成された後、現在に至るまで構造上の大きな変化を経ていない。これは言い換えれば、現代社会に産まれた乳児と、3万年前に産まれた乳児とでは、成長によって遂げる進化の可能性が同じものであることを意味している。すなわち、仮にこの二人の乳児を(タイムマシン等を用いて)取り換えても、3万年前から現代に来た乳児は現代人として成長し、高校・大学の入学試験に合格し、企業に入社してIT機器を駆使し、将来は宇宙飛行士になれる可能性を有する。同様に、現代に産まれ、将来は宇宙飛行士になれる可能性があった乳児が3万年前の社会で成長すると、文字を覚えることなく、掛け算や引き算もできずに石器を用いるだけの生涯を送ることになる。

現代と3万年前のヒトの脳に大きな違いがないにもかかわらず、時代によって生み出される技術が大きく異なる要因のひとつは、技術が蓄積・継承され、派生していく性質を持つためである。

本稿では特別編として、技術の派生をテーマとしてYAMAHA(ヤマハ)が生み出した技術の展開の歴史をみていく。

YAMAHA(ヤマハ)にみる技術の派生

2015年10月28日、東京ビッグサイトで開幕された『第44回東京モーターショー2015』にて、ヤマハ発動機による四輪のデザインコンセプトモデルである『SPORTS RIDE CONCEPT』が公開された。

ヤマハブランドは現在、ピアノやギター、音響機器などの楽器・音響分野をはじめ、二輪や船舶、さらにはゴルフクラブやリビング関連に至るまで、幅広い分野で展開されている。これらの製品で用いられている技術は全て、一台のオルガンから始まった。
ヤマハはオルガンに用いられた技術を応用し、派生させることで様々な製品を生み出してきた。(こうしたヤマハによる技術の多面展開は、今や「ヤマハコピペ」としてもインターネット上でも話題となっている。)

始まりは一台のオルガンの修理から

1851年、技師である父のもとで生まれた山葉寅楠は、幼少期より精密器具や機械に触れて育った。山葉は17歳のときに時計商の徒弟となり、20歳になるとより高度な技術を習得すべく五年間に渡って時計製造を学んだ。時計製造で高度な技術を見につけた後は、医療器械の技術も身に付けた。
ある日、そんな山葉にオルガンの修理の依頼があった。山葉は故障したオルガンを分解し、オルガンの構造を模写して数十枚の図面にまとめた。故障の原因を見つけて修理した後、自らオルガンを作ることを決意して山葉風琴製造所を設立、そして製造に取り掛かってから二ヵ月後に国産第一号のオルガンを完成させた。これが、“ヤマハブランド”の始まりとなる。

(1887年/リードオルガン|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

オルガンの完成後、山葉風琴製造所から“山葉楽器製造所”、“日本楽器製造株式会社”と改組し、オルガン製造の技術を活かしてアップライト型(弦が水平面に対して垂直)の国産第一号のピアノを完成させた。

(1887年/アップライトピアノ|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)
国産第一号のピアノのフレームや鍵盤、ハンマーなどの部品は輸入したものだったが、ピアノの音を響かせる木製の板である“響板”は音質や音量を左右する重要な部品であったため、山葉と弟子の河合小市とで作り上げた。アップライト型ピアノの完成後、その技術を用いてグランド(弦が水平面に対して平行)ピアノの製造に成功する。このグランドピアノは大阪の内国勧業博覧会に出品され、最高賞牌を獲得した。また、米国博覧会では名誉大牌賞を獲得した。

(1902年/グランドピアノ|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

二人がピアノ作りの過程で身に付けた木材の加工技術は、その後に多くの技術に応用され、様々な技術に派生していくことになる。

・木材加工から、高級木工品の製造へ

二人はピアノ製造に必要な理想の部品を希望通りに製作するため、木材加工の機械を考案した。当時のオルガンは装飾家具の要素も多く持っていたため、オルガンの製作には細かな機能部品だけでなく、装飾部分を作る技術も必要だった。響板の製造に用いた木材の加工技術は応用され、高級洋家具やベニアの開発に用いられた。
こうした楽器と家具の製造で培った調達や木材乾燥、加工、塗装技術を応用することで、事業領域は室内装飾、家具、建築分野へと拡大し、高級家具製造、ミシンテーブル、木製プロペラなどの製品化に至った。木製プロペラの製造には木質や乾燥、膠着、塗装において綿密な検査の下での製造技術が求められたため、次第に高度な木材加工技術が蓄積されていった。こうして蓄積された木材加工技術は高級木工品の加工技術へと応用され、製造された高級木工品は帝国議会議事堂(現:国会議事堂)や帝国大学(現:東京大学)図書館、または諸外国の王室などに納品されるようになった。

・音響記録装置の開発

山葉寅楠の逝去後、ピアノ製造の技術は日本楽器製造株式会社に継承された。当時の代表取締役であった川上嘉一は自社で製造したピアノの優秀さを実証するためのデータの必要性を感じ、音を科学的に分析することでピアノの良さを証明するための音響実験室を設置した。ここで川上は、オシログラフを利用してプロペラの音を研究している方法をピアノの音作りに活用できると考え、音響記録装置を開発した。これにより音の高低、大小、音色の測定が可能となった。その後、音響記録装置に用いられている技術を応用し、電気楽器であるマグナオルガンの製作を開始した。

・木製プロペラから金属製プロペラへ

戦時中には航空機のプロペラ生産が主力となり、需要が木製プロペラから金属製プロペラに移行するにつれ、日本楽器製造が有する木製プロペラの製造技術は金属加工技術へと応用されていくことになる。日本楽器製造のプロペラ加工の技術水準は高く、太平洋戦争開戦時には軍が所有する飛行機に用いられるプロペラの60%以上が日本楽器製造製だったといわれている。当時の社史には、『(日本楽器製造株式会社は)陸軍省指定工場となり、殆ど全部を一手に納入するも、未だプロペラに起因する飛行機の故障は絶無』と記録されており、プロペラ加工の技術力の高さが示されている。

終戦後、プロペラからの飛躍

終戦後は金属プロペラ加工に用いた技術を応用するべく“ヤマハ技術研究所”を設立し、オートバイや自動車エンジン、レーシングマシンの研究を開始した。また、ピアノの弦やフレームが金属であったことから、金属の研究にも取り掛かった。

日本楽器製造の新たな経営者に川上源一(川上嘉一の息子)を据え、新体制の下で二輪車の試作を経て、高性能二サイクルエンジンを搭載したオートバイ『YA1』(通称『赤トンボ』)を発売した。

(1955年/モーターサイクル“YA1”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

その後、オートバイの開発・製造を独立した企業でおこなうべく、日本楽器製造株式会社から独立した企業である“ヤマハ発動機株式会社”を設立。ヤマハ発動機株式会社は自社の二輪車で浅間高原レースのウルトラライト級に参戦し、初参加ながら125ccクラスのレースで1位~10位に7台入賞を果たした。また、浅間高原レースのウルトラライト級で1位~3位を占めた。さらに、『YC1』で参加した250ccクラスのレースでは、1~5位を占めた。

(1956年/モーターサイクル“YC1”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

その後は世界GPに参戦し、参加4年目に250ccクラスのメーカーチャンピオンを獲得して世界の頂点に立った。

・陸から海へ

オートバイの開発で培ったエンジン技術は、モーターボートの製造にも応用された。ボート事業に参入後、4ヶ月の設計・製造期間を経て沖縄海洋博記念レース(太平洋横断単独無寄港ヨットレース)に35フィート大型艇である『Wing of YAMAHA』で参戦。アメリカ、フランス、西ドイツが参戦する中で、『Wing of YAMAHA』はトップに出るとその後は一度も譲ることなく優勝を果たした。
モーターボートに加えてヨットやクルーザーも開発し、ヤマハ発動機株式会社の造船技術は高く評価されるようになる。その評価の高さから、海上保安庁の警備艇や海上自衛隊の支援船も製造することになった。

・二輪から四輪、そして空へ

ヤマハ発動機の二輪車エンジンの技術は自動車エンジンに関する基礎研究や実験にも応用され、トヨタと共同で開発したスポーツカー『トヨタ2000GT』にも用いられた。

(1967年/自動車“Toyota 2000GT”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

トヨタ2000GTの内部のダブルOHC直列六気筒のエンジンとボディには、それぞれ二輪とボートの製造で培われたヤマハ発動機の技術が用いられた。なお、ヤマハ発動機のエンジン技術は二輪・四輪自動車関連だけでなく、スノーモービルや無人ヘリコプターの製造にも応用された。

(1968年/スノーモービル“SL350”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)


(1987年/産業用無人ヘリコプター“R50”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

二輪・四輪のエンジン技術で培われた技術はその後も発電機や芝刈機、除雪機などに応用され、農業や漁業、土木建築・工業・レジャー用に使用できる汎用エンジン『MT100』も発売された。

(1969年/汎用エンジン“MT100”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

・二酸化炭素の低減から健康食品への派生

ヤマハ発動機はエンジンを開発する過程において、地球温暖化など環境問題への対策として二酸化炭素(CO2)の低減を目指した。その過程で燃費性能の向上(省燃費)や電動ビークル・燃料電池の開発など、製品面での工学的研究を進めた。
一方で、微細藻類の光合成を活用したCO2の吸収技術の研究にも着手し、微細藻類の育成技術や、大量培養を可能とする光合成装置の研究・開発に成功した。研究の過程で微細藻類のヘマトコッカス藻由来で高い抗酸化作用を持つ高品質アスタキサンチン製剤を開発し、一般消費者向けサプリメント・アスタキサンチン「ASTIVO(アスティボ)」として販売した。

(2007年/ライフサイエンス“ASTIVO”|出典:ヤマハ発動機>>ヤマハヒストリー>>製品の歴史)

ヤマハ発動機と日本楽器製造

日本楽器製造が生み出した技術を応用してヤマハ発動機が二輪や四輪、ボートなどの開発・製造をおこなう一方で、本家である日本楽器製造は“音”に関連する技術開発を続けた。アコースティックのピアノ以外にも、音響技術を応用して真空管方式の電子オルガンや上位機種となるオールトランジスタ式の電子オルガン『エレクトーン』を開発した。

(1959年/エレクトーン“D-1”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

電子オルガンやエレクトーンの開発を経て、技術者たちは従来の音源として採用してきた方式では音の改善という面で限界があると考え、新たな方式を模索する。その結果、自然楽器の音を分析し、それをIC(集積回路)メモリーに記録して必要に応じて取り出す方式を発案した。この方式により、本来は不安定である自然楽器の音を安定した形で得られるようになった。
なお、安定した形で音を得るためには膨大な情報を瞬時に処理する必要があったことから、ICの開発に乗り出すことになった。上質な電子楽器を作るために最適な半導体素子が必要と判断し、機密保持と安定供給を目指して半導体の自社開発に踏み切った。

・ICからLSI(大規模集積回路)の開発、電子機器への応用

電子オルガンやエレクトーンの分野で蓄積された半導体技術は音源用や画像処理用のLSIの開発に応用され、製造されたLSIは外部販売された。音と画像の両方に関係するテレビゲームメーカー向けでは、後に世界の90%のメーカーが日本楽器製造(ヤマハ)のLSIを使用するようになった。

半導体技術は薄膜ベリリウムの振動板の開発にも応用され、ヤマハはその技術を用いてスピーカーの開発に乗り出した。ベリリウムは硬い金属であるため圧延して箔にするのが困難であったが、半導体の技術を応用することでベリリウムの蒸着法を考案し、箔をつくることに成功した。

電子オルガンやエレクトーンの分野で蓄積された技術は、『エレクトーンの音をいかに良くするか』という技術的課題を解消するためにも応用された。ヤマハは蓄積された技術を応用してスピーカーの開発に着手し、NS(ナチュラル・サウンド)方式のスピーカーを開発した。

(1974年/スピーカー“NS-1000M”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

その後は本格的なオーディオ機器に取り組み、ステレオシステムを開発した。また、半導体技術と音響技術を応用することにより、CDプレーヤーの開発にも乗り出した。この分野ではOEM(相手先ブランドによる生産)を実施したこともあり、ヤマハのCDプレーヤーのシェアは最盛期で20%を越えた。

(1982年/CD-1|出典:ヤマハ>>)

さらに、CDプレーヤーで用いたレーザー光線技術を応用することで光学式のビデオディスクプレーヤー産業にも参入した。

スピーカー分野では、二輪車のマフラーの消音技術からヒント得て、共鳴器のヘルムホルツレゾネーターを採用することで低音の出る小型スピーカーの開発に成功する。ヘルムホルツレゾネーターを応用するスピーカー・システムに関連する特許および実用新案の申請は、基本的なものと周辺を含めて46件にのぼった。この技術により、従来ほど形状に依存せずに低音が出せる新型のスピーカーが実現可能となった。

木工加工技術から素材・インテリア分野へ

音響技術の研究がIC・LSIをはじめとする電子機器製品の開発に応用される一方で、木工加工分野で培った塗装技術を応用することで、FRP(強化ガラス繊維)の試作も始まった。FRPは耐久性や加工性に優れているため、モーターボートやスノーモービル、または業務用分野では船舶などにも応用された。さらに、FRPの技術を応用してアーチェリーを開発・製造し、スポーツ事業分野へも進出した。

(1976年/アーチェリー“YTSLⅡ”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

スポーツ事業分野では、アーチェリー以外に世界で初めてとなるグラスファイバー製スキーを開発した。

(1961年/スキー“Yamaha Glass Ski”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(1995年/スキー“PROTO TT”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

他にも、グラスファイバーのテニスラケットやカーボン・コンポジット(炭素繊維複合材)のゴルフクラブの開発・製造も手掛けた。

(1975年/テニスラケット“YFG-30”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(1989年/テニスラケット“PROTO-EX”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(1982年/ゴルフクラブ“Focus Super C-300”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(1996年/ゴルフクラブ“PROTO FORGED Ti POWER MAGIC”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

繊維の分野における技術はテニス、スキー、ゴルフウェアの開発にも用いられ、スポーツシューズも作られた。また、この分野で培われたFRP技術を応用し、バスタブやプールの開発・製造も手掛けるようになる。

(1964年/バスタブ“N-1”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

FRPの持つ高い耐久性や加工性は、和船や漁船の製造にも活用された。さらにFRPの技術はホーム用品にも応用され、バスタブや洗面化粧台などに用いられた。
FRPの研究が進む中、FRPの組成で強度を確保するためのガラス繊維が表面の平滑性の実現の障壁となっている点が発見される。そこで、その障壁を克服するべく強度と表面の鏡面性を両立した人造大理石を開発に着手し、キッチン用人造大理石カウンターやバスタブ用人造大理石を生み出した。

キッチンやバスタブの装飾品の製造を手掛けると同時に、独自の木工加工技術から派生した家具製作技術によってリビングセットやダイニングセット、システム・キッチンなども開発し、一戸建て・高級マンション向けのインテリアとして発売した。このようなシステム家具は、市場においてトップシェアを占めた。
木工技術から派生した家具事業では大衆向けの製品だけでなく、銀行や企業の役員室向けの製品も製造し、ホテルや証券取引所などにも応接セットや飾り棚などを納入するようになった。こうしてインテリア分野に進出することで、伝統的な家具デザインだけでなくモダンデザインの家具開発にも着手するようになった。

ピアノの弦から合金への展開

ピアノ製作で培った木工加工技術を家具作りに活かす一方で、ピアノの弦やフレームが金属であることからおこなわれていた金属の研究によって蓄積された金属加工技術は、鉄アルミ合金や銅チタン合金の開発・製造に応用されるようになった。こうして開発・製造された鉄アルミ合金や銅チタン合金は市場で販売され、バネに用いる金属材料の市場では90%のシェアを占めるようになった。また、ニコンとの共同開発にて金属の加工・製造技術を応用することで、日本で初めて眼鏡のチタンフレームを開発した。
ヤマハが開発した金属は、特殊金属材料の分野では一時、20%のシェアとなった。このような特殊金属の研究・開発から生み出された金属は、“ヤマハ合金”と呼ばれた。特殊金属の技術は半導体や電子機器に必要な金属材料の開発技術へと応用され、その後は軟質磁性材料、磁気記録材料、磁石材料、半導体材料などの開発に用いられた。

音+半導体+建築=音場制御・創生、音響建築へ

・音+半導体

ヤマハが有する半導体技術と音響技術を併せることでシンセサイザーが生み出された。

(1976年/シンセサイザー“CS-80”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(1999年/半導体“YMU757”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

・音+半導体+建築

電子オルガンやエレクトーンの音質を確認するために電気音響研究室を設置したことで、ヤマハには建築音響の技術が蓄積されていた。この建築音響の技術は、屋内や屋外のホールの設計技術に応用されることになる。なお、音響設計に携わることで音響設計に必要な音場制御や音響材料の研究が可能となった。
このような音響技術と建築技術の双方を応用し、コンピューターシミュレーション技術によって建築図面からその建物の室内音響特性を計算・予測し、室形状、内装仕様などの建築条件の評価を可能とした。この技術は、実務設計に導入された。これにより、音場を再生する際に最も重要な要素である初期反射音をシミュレーションできるだけでなく、室形状や材料を変えた場合の反射音の変化などを把握できるようになった。すなわち、設計図通りに建築した場合に、どのような音場が実現するかを事前に予測することが可能となった。さらに、このコンピューターシミュレーションによる音場を実際に音として確認できる音声合成装置を世界で初めて開発した。これによって設計図段階で完成後のホールの音響状況を反射音レベル、入射角、到達時間などのデータをコンピューターで解析して作り出すことが可能となり、前から何番目、端から何番目の席で聞くとどう聴こえるかを事前に把握することも可能となった。
その後、映像の中で背景に列車が走る、飛行機が客席に向かって飛んでくるといった音響効果を再現できるSICS(サウンド・イメージ・コントロール・システム)を初めて実用化した。

また、ヤマハの有する建築音響技術、音場制御技術、LSI技術を統合することで、音場創生機(デジタル・サウンド・フィールド・プロセッサ)の開発も可能となった。

(1999年/半導体“YMU757”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

これによりコンサートホール、ジャズクラブ、教会といったある特定の音場をつくり出し、あたかもそこにいるかのような臨場感のある音響が再現可能となった。こうした音場制御技術は既存の施設の音場条件の改善や新設ホールの多目的使用性の拡大などにも用いられるようになった。他にも、劇場で役者の動きに合った音像の移動と定位を可能にした音響設計技術が生み出された。

・半導体技術と音響技術から情報処理技術へ

ヤマハではその後も、音色の分析や音色回路、そして音程を安定させる研究が続けられた。半導体技術や音響技術の研究で蓄積された情報処理技術は、通信カラオケやルーター、音声会議などの製品にも応用された。

(1995年/ルーター“RT100i”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(2002年/ルーター“RTX 1000”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(2006年/会議システム“PJP-50R”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)


(2010年/会議システム“PJP-20UR”|出典:ヤマハ>>ヤマハプロダクトの歴史)

FM音源と音声合成技術

ヤマハは音の研究・開発の一環としてスタンフォード大学の教授との契約によってFM(フリクェンシー・モジュレーション)音源関連の特許を取得し、FM音源を採用した最初の電子オルガンを開発・発売した。また、自社で実用化したFM音源をベースに歌声音声機能を持ったハードウェアを開発、その後は人の声を音声ライブラリとし、歌詞と音符を入力することで歌声を実現できる音声合成技術を開発、ライセンス契約によって複数のライセンス供与先で『VOCALOID(ボーカロイド)』として発売された。なお、音楽制作ソフト市場では『年間販売数が1,000本を超えるとヒット商品』と言われている中、VOCALOIDシリーズの販売本数は発売から5年半で80,000本を超えた。

(2013年/VOCALOID“初音ミク V3”|参照:クリプトン・フューチャー・メディア>>初音ミク V3)

128年の歳月を経て

一台のオルガンから始まった技術はその後、木工加工技術、金属加工技術、音響技術、素材技術、建築技術、電子技術、情報処理技術など、様々な技術に派生し、多くの製品を生み出してきた。こうした経緯から、今日ではフロント二輪車や、上述した四輪車のデザインコンセプトモデルも手掛けるようになった。


(2015年/フロント2輪“MWT-9”|出典:ヤマハ発動機>>第44回東京モーターショー2015 ヤマハブース概要)


(2015年/デザインコンセプトモデル“SPORTS RIDE CONCEPT”|出典:ヤマハ発動機>>トピックス)

ヤマハで開発された技術は、製品化された後にその全てが事業として軌道に乗ったわけではない。ときには事業の撤退や工場閉鎖、または大規模な減産などを強いられることもあった。しかし、その都度に生じる事業区分を跨いだ配置転換により、それぞれの組織・チームが“特殊な専門性をもつ技術者”や“多様な現場経験や変化対応力を有する技術者”を抱えるようになった。こうした技術と人材の流動性が、128年の歳月をかけて多様な技術や製品を生み出すことにつながった。

技術は、応用されることで新たな技術を生み出す。今日に至る技術の進歩の歴史は、技術の派生の歴史と軌を一にする。それゆえ今後の技術の進歩もまた、技術の応用と派生に軌を一にするといえる。

◆参考文献
ヤマハの企業文化とCSR (産経新聞社の本)
ヤマハ新・文化創造戦略―“遊び心”提案企業の全貌
ヤマハ発動機の経営革新
感動創造―技術者として、経営者として
トクラスが継承するヤマハのDNA『独創改革』
社史で見る日本経済史 第53巻 日本楽器製造株式会社の現況/山葉寅楠翁/山葉の繁り
日本音響学会誌 第67巻1号
美術手帖 2013年 06月号

◆参考サイト
ヤマハ株式会社
ヤマハ発動機株式会社
トクラス株式会社
※いずれも2015年12月時点参照

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