ヒトは、見えないものを想像する生き物である。
「想像」という能力は、ヒトが進化の過程で身に付けた能力である。過酷な生存競争の中で、生命活動の大原則である“子孫の繫栄”の可能性を高めるためには、まだ在りもしない未来を想像する能力が大いに役立った。「もしも敵が襲ってきたら?」「もしも食糧が確保できなければ?」「もしも怪我や病気をしたら?」といった未来の「もしも」を想像し、それに備えることで、ヒトは他の生物よりも有利に生き延びてきた。こうした実在しないものを想像できる能力は、やがて宗教や芸術を生み出し、ヒトをフィクションの世界へといざなうことになる。
「想像」の利点は、当然のように現代社会においても多くみられる。例えば、学生であれば試験前の対策、社会人であれば仕事での長期プロジェクトの準備(もしくは週末のバーベキューの準備)など、“まだ存在していない事柄”を想像できることは、日常生活をより安全で豊かなものにしている。
ヒトが持つ「補完能力」
ヒトが持つ想像力のひとつに、「補完能力」がある。補完能力とは、「ありもしないものを補って完成させる」能力である。このことは、図1をみると容易に理解できるだろう。
図1は、「カニッツァの三角形」と呼ばれる錯視図形である。イタリアの心理学者であるガエタノ・カニッツァによって1955年に発表された。この図では3つの黒い円の中心に白い三角形が知覚されるが、実際には三角形は存在していない。
【図1】
このように“実在していないにもかかわらず実在しているように見える輪郭”は「主観的輪郭」と呼ばれ、こうした主観的な補完は「モーダル補完」と呼ばれる。
ヒトの補完能力は、存在していない輪郭を浮かび上がらせるにとどまらない。自分にとって都合の良い理解を促す役割をも果たす。それを教えてくれるのが、図2に書かれたアルファベットと数字の羅列である。
【図2】
図2の「A」と「C」の間にある文字と、「12」と「14」の間にある文字は同一のものである。しかし多くのヒトは、それが「A」と「C」の間にあれば「B」と認識し、「12」と「14」の間にあれば「13」と認識する。(いずれも同一の記号であるにもかかわらず。)
図1や図2が示すように、ヒトの想像力は存在しない事実を存在するかのようにヒトに認識させたり、ひとつの事実を時と場合によって異なるものとして認識させたりする。こうした能力は、まさにヒトが進化の過程で身に付けた能力なのである。
なぜヒトは美を求めるのか
過酷な生存競争を勝ち抜くために、ヒトの脳はさまざまな進化を遂げた。たとえば、生存競争に有利に働く情報を得た場合に、ヒトの脳内では報酬系が活性化される。すなわち、ヒトの心に良い感情を引き起こす。そのひとつが、美しいものを見たときである。白い肌や大きな瞳、丸みのある身体といった特徴をもつ女性を見たとき、まさに報酬系が活性化されるのだ。
本稿のタイトルである「なぜ女子高生の後ろ姿は美しいのか」に戻れば、その答えは“見えない正面は、きっと美しいものである”という期待(補完)を生じさせ、それゆえ後ろ姿もそれに影響を受けて美しく見えるから、である。後ろ姿しか見えない対象物の前面の美しさを想像し、脳の報酬系を活性化させることで、より優秀な子孫を残す動機づけを行うメカニズムがそこには存在している。見えないものを美しく想像するほうが、脳はそうでない場合に比べてヒトをより行動的にさせ、生命活動の大原則である“子孫の繫栄”の可能性を高めることができる。こうした理由から、出産が可能で最も若い年代である女子高生の後ろ姿は、多くのヒト(とりわけ男性)には特に美しくみえるのである。
◆参考文献
・現実を生きるサル 空想を語るヒト―人間と動物をへだてる、たった2つの違い
◆参考サイト
京都大学「モノの背後を見る脳の仕組みを解明 」