ヒトの「好き」という気持ちは、対象物の性質だけでなく、対象物に接触する回数や、保有することによっても決定づけられる。ここでは、ヒトの「好き」という気持を形成する「単純接触効果」と「保有効果」についてみていく。
単純接触効果(接触回数と好みの関係)
単純接触効果とは、特定のものと接触する効果が増えれば増えるほど、それらに対する好感度が高まる効果である。アメリカの心理学者であるザイアンスは、接触回数が“好み”にどのような影響を与えるかを調べるために、以下のような実験を行った。
ザイアンスは七文字のトルコ語(「IKTITAF」「AFWORBU」「SARICIK」「BIWOJNI」など)が書かれているカードを12枚用意し、トルコ語を理解できない被験者に対してカードを一回につき約2秒間提示する実験を行った。カードを提示した際には実験者がトルコ語を発音し、その発音を被験者にも行うように求めた。この実験にトルコ語が用いられたのは、被験者がトルコ語を理解していないために単語の内容が好みに影響を与えないことを意図したためである。
実験者は12枚のカードを二枚ずつ、それぞれ0回、1回、2回、5回、10回、25回の計86回提示し、その後、各単語に対する好感度を被験者に7段階で評価させた。その結果、提示した回数が多ければ多いほど、各単語に対する好感度が高くなっていたことが確認された。
この実験では、異論として「単語の発音の難易度や、繰り返して発音することによる発音の慣れが単語の好みに影響を与えているのではないのか」との仮説が立つ。そこで、トルコ語の単語ではなく漢字を用いて同様の実験を行った。この結果、単語の実験と同じ傾向がみられた。また、顔写真を用いて同様の実験を行った場合にも好みは写真の提示された回数(=被験者が接触した回数)に比例した。
この実験結果から、人の好みは対象物に接触した回数によって定まることがわかる。ただし、明確に嫌悪感を抱いている対象物については接触回数が増加しても好感度が上昇しないことが確認されている。顔写真を用いた実験では12枚の人物のうち2枚の人物が、接触回数の多さに反比例して好感度を低下させている。
“単純接触効果”ゆえに、ヒトは見慣れた対象物に好意を抱く傾向がある。こうした単純接触効果に基づく好みの形成および選択は、社会全般に及びうる。たとえば、テレビのCMで頻繁に目にする商品やサービスであれば、品質がそれほど高くなくとも好感度が高くなる可能性がある。政治の分野においては、テレビ番組に頻繁に登場する有名人ほどそうでない者と比べて好感を抱かれやすくなるため、選挙に立候補すると(たとえ行政の運営に関する能力が高くなくとも)有権者から選ばれ、当選しやすい傾向にあるといえる。
経営・経済・政治の分野において単純接触効果は、経営者や候補者にとっては自身の望ましい結果を実現する要素となりうる。一方で、購入者や有権者は選択肢がもたらす結果を精査することなく選択を行いうることから、購入者や有権者にとっては必ずしも最善の結果をもたらす要素にはなりえないという点で注意が必要となる。
保有効果(保有と好みの関係)
保有効果とは、対象物を保有している時間が長くなればなるほど、それらに対する好感度が高まる効果である。この効果は、心理学者でもあり行動経済学者でもあるダニエル・カーネマンやクネッチの実験によって確認された。カーネマンやクネッチは、保有が人の“好み”にどのような影響を与えるかを確認するために次のような実験を行った。
実験者(カーネマンとクネッチ)は、無作為に集めた集団を3つのグループに分けた。第一のグループにはマグカップを与え、第二のグループにはチョコレートバーを与えた。そして、第三のグループにはマグカップとチョコレートバーの内、欲しいものを自由に選択させた。この結果、第三のグループは、ほぼ半数がマグカップを選び、残りのほぼ半数がチョコレートバーを選んだ。このことから、マグカップとチョコレートバーの価値(=市場での人気)は、ほぼ等しいといえる。
次に、マグカップを与えたグループに、希望すれば自身が所有しているマグカップをチョコレートバーに取り換えられることを伝えた。なお、交換には手間や時間がかからないよう工夫された。これと同様に、チョコレートバーを与えたグループにもマグカップと自由に取り換えられることを伝えた。すなわち、チョコレートバーを希望する人はいつでもチョコレートバーに取り換えることが可能であり、マグカップを希望する人はいつでもマグカップに取り換えることが可能となる環境を整えた。
この結果、マグカップを与えられたグループでは89%の被験者がマグカップを保有し続け、チョコレートバーと交換したのは11%だった。また、チョコレートバーを与えられたグループでは90%がチョコレートバーを保有し続け、マグカップと交換したのは10%だった。
第三のグループにマグカップとチョコレートバーのいずれかを自由に選ばせたところ、マグカップとチョコレートバーの人気は、ほぼ等しいことがわかった。それゆえ、マグカップを与えられた第一のグループやチョコレートバーを与えられた第二のグループの人たちが自由に取り換えられる状況では、第一・第二のグループでもマグカップとチョコレートバーの保有者が半数ずつになると考えらえる。しかし結果を見ると、第一・第二グループは、それぞれ89%、90%が最初に与えられたものを保有し続けていた。
この実験結果は、『人は、所有した物の価値を所有する以前よりも大きく評価する傾向がある』ことを示している。実験者のカーネマンは後に学者のノヴェムスキーと共に、物自体に機能的な価値をもたない“代用硬貨”を用いた保有効果の実験を行った。この結果、代用硬貨では保有効果がほとんど生じないことがわかった。代用硬貨はそのものに機能的な価値を持たず(マグカップなら使用の価値、チョコレートなら食用の価値を持つ。)、なおかつ自由に現金化することができるため保有効果は生じないと結論付けられている。また、最初から転売目的で所有した物においても、保有効果は生じないとされている。これは、転売目的の物には所有者は機能的な価値を求めておらず、それゆえ代用硬貨と同じ位置付けとなっていることがその理由となっている。以上のことから、保有効果はチョコレートバーやマグカップなどの機能的な価値(おいしい、飲み物が飲めると、飾ることができるといった価値)に対して生じることがわかる。
学者のローワンスタインとアドラーも、同様の実験を行っている。二人は複数の被験者にマグカップを見せ、『今後このマグカップを所有することになり、保有し続けても良いが売却することもできる。売却する場合は、いくらで売却するか』と尋ねた。その結果、売却したいと考える金額の平均は3.73ドルだった。その後、実際に被験者にマグカップを与え、保有させた後に同様の質問をすると、希望の売却額は4.89ドルに上昇していた。この実験でも、保有効果が確認された。
保有効果は、場合によっては人に非合理的・非論理的な判断を下させることになる。たとえば企業の中で人事異動を行う際に、より適した配置があるにもかかわらず保有効果に基づく“実態にそぐわない価値”によって異動を拒むといった場合や、消費し慣れた(ときに健康を害する)食品や消耗品、嗜好品の使用を続けるといった場合などが誤った判断として挙げられる。
「好き」のメリット・デメリット
「好き」という気持ちは、単純接触効果や保有効果によって引き起こされる場合がある。何かを好きになること自体は必ずしも非効率・非合理的なことではないが、重要な決定の際には単純接触効果や保有効果が枷となる場合もある。合理的かつ効率的な選択肢を採るためには、常に具体的な根拠の基づいて決断を下す必要があるといえる。