コラム

バイリンガルの脳は特別か-多言語使用の脳科学-

 市場や文化のグローバル化が進む昨今でも、バイリンガル(二ヶ国語を話す人)の存在は、こと日本では未だめずらしいものかもしれない。ヨーロッパ諸国では母国語+英語が当たり前のように話されるためバイリンガルは驚きに値しないが、日本人には決して身近な存在ではないといえる。

 国際語学教育機関「EFエデュケーション・ファースト」(本部・スイス)の2019年調査によると、非英語圏の100ヶ国・地域の中で日本人の英語力は53位だった。同じ東アジアの国々である中国(40位)や韓国(37位)よりも低いレベルに留まっている。そんな日本人にとっては、「英語が話せる」という存在は、それだけで知識人や教養人であるかのように映るのかもしれない。

 当サイトでも何度か触れてきたように、言語と脳科学の間には切っても切れない関係がある。
(関連記事:1.「ヒトの知能の高さは、言語能力によって実現された。【言語の脳科学・人類学・進化学】
(関連記事:2.「母国語が異なれば思考も異なる。日米中韓4ヶ国語の比較にみる「言語と思考の脳科学」」)
 中でも、2ヶ国語以上の言語を使う話者の脳内は、多くの人にとって興味を抱きやすいテーマといえる。

 ここでは、多言語を用いるヒトの脳がそうでないヒトと比較してどのような違いがあるかについて紹介する。

2つのバイリンガル

 一般的に、言語は「読む」「聞く」「話す」「書く」の4技能に大別される。「読む」と「聞く」は受動的な能力であり、「話す」と「書く」は能動的な能力である。ひと口にバイリンガルといっても、上記のそれぞれの能力には差がある。こうした差は、“どのようにしてバイリンガルになったか”という点に起因する。

 バイリンガルは、その能力をどのようにして獲得したのかという観点から、大きく2つのタイプ(レベル)に分類することができる。ひとつは「同時バイリンガル」と呼ばれるもので、2つの言語を、1つの概念体系のもとで学んだタイプを指す。もうひとつは「継起バイリンガル」と呼ばれるもので、2つの言語を2つの概念体系のもとで学んだタイプ、すなわち、2つめの言語を1つめの言語を通じて学んだタイプである。たとえば、「This is a pen」という英語を学ぶ際、「“This”は、“これ”」「“ is”は、“は”」「“pen”は、“ペン”」よって「“This is a pen”は、“これはペンです”」という過程を経て学んだタイプである。

バイリンガルの脳はどう違うか

 「同時バイリンガル」と「継起バイリンガル」の違いは、発音や会話の速度が同じであれば、聞き手から見ると大きな違いはみられないかもしれない。しかし、近年の脳イメージング技術(機能的磁気共鳴画像法 (fMRI)やポジトロン断層法 (PET))の発展と活用により、バイリンガルの脳の違いが明らかになってきている。

 近年の研究によると、成人になってから第二言語を学んだ人が第二言語を用いる中で課題や問題に直面した場合、母国語を用いているときに比べて感情による偏見(バイアス)にとらわれず、理性的に対処できることが分かっている。

 上記の点の他にも、新たな言語をいつ獲得するかにかかわらず、バイリンガル、もしくはそれ以上の言語を話すことができるマルチリンガル(=ポリグロット【polyglot】)には、いくつかの顕著な利点があることが分かっている。
 脳に関していえば、灰白質の密度が高いという特徴がある。灰白質はニューロンの細胞体が凝縮した組織であり、ヒトの知的活動を支えている重要な部位である。
 バイリンガルの脳のもうひとつの特徴は、第二言語に取り組むときには特定の領域がより活性化するという点である。また、バイリンガルの脳は生涯を通じて高度に鍛えられるために、アルツハイマーや認知症などの発症を5年ほど遅らせることがあることも分かっている。

 今でこそバイリンガルはスキル(強み)のひとつとして広く知られているが、こうした考えは歴史的には新しいといえる。1960年代以前、バイリンガルはハンディキャップと考えられていた。これは、言語の区別に過剰な労力が必要なために、子どもの脳の発達を遅らせるという理由からである。
 確かに、近年の研究でも2つの言語を必要とするテストにて、バイリンガルの中には反応が遅く誤答の多い生徒がいることが示されている。しかしその一方で、言語の切り替えに必要な努力と注意が活性化を高めるきっかけとなり、背外側前頭前皮質(※記憶や学習、理解、推理、抑制、判断などの思考全般を司る部位)を強化する可能性があることも示されている。背外側前頭前皮質は、タスクの切り替えや不要な情報の除去、さらには集中するために大きな役割を果たす部位である。

バイリンガルのアドバンテージ

 バイリンガルだからといって、それだけで必ずしも高い知能を身につけているというわけではない。しかしさまざな研究の結果、2ヶ国語以上を用いることで脳はより健康的に、そして複雑になることが分かっている。

 健康かつ複雑になった脳は、より活発的に物事に取り組むことができる。このことから、バイリンガルであることは、モノリンガルであるよりも“特別”といってもよいのかもしれない。

■参考文献・参考サイト
・ぜんぶわかる 脳の事典(成美堂出版)
・nippon.com「日本人の英語力、非英語圏で53位に後退:スイスの教育機関調査」
・Junglecity.com「第4回「バイリンガル児の言語発達「同時バイリンガル」と「継起バイリンガル」」
・Active Brain CLUB「背外側前頭前野と背内側前頭前野」
・TED-Ed「The benefits of a bilingual brain – Mia Nacamulli」

関連記事

  1. リーダーシップに役立つ 「パス・ゴール理論」って?
    覚えて…
  2. 脳科学者一覧(中野信子・茂木健一郎・苫米地英人etc.)
  3. 勉強ができないと「学習障害」?
    親や教師、講師が覚えておく…
  4. 感覚がもたらす誤った選択
  5. 【特別編】YAMAHA(ヤマハ)128年の歴史にみる技術の性質
  6. 意識とは何か ―脳科学最大の謎に迫る―
  7. 超能力・サイコキネシス・念力は実在するのか【超常現象の脳科学】
  8. ヒトの知能の高さは、言語能力によって実現された。
    【言語の…
PAGE TOP