組織犯罪やグループ犯罪では、容疑者(または被告人)は「自分は命令に従っただけなので無罪だ」と主張することがしばしばみられる。法律学の観点からみれば紛れもない有罪であっても、彼らが心からそう思い込んでいるケースも少なくない。
ヒトは、上司や上官、または高名な権力者から指示・命令を受けると通常の倫理感や道徳心による抑制が困難となる。これを示したのが、心理学者のスタンレー・ミルグラムによる「“服従の心理”実験」(通称:ミルグラム実験)である。
権威による服従
「服従」とは、自身の意に反して命令などの強い社会的圧力に従う行動を指す。
心理学者であるスタンレー・ミルグラムは、人がどれほど権威に対して服従するのかを調べために心理実験を行った。実験の目的は、被験者がどの段階で権威に反抗するかを調べるものである。
被験者を募集する際には実験の目的を伏せ、テーマを「記憶と学習に関する科学研究」として被験者を広く募った。集まった被験者は郵便局員、高校教師、営業マン、エンジニア、一般労働者など多岐に渡った。学歴や年代に偏りが生じないよう配慮し、高校中退者から博士号、専門学位保持者まで集め、対象者の年代を20代、30代、40代をそれぞれ20%、40%、40%とした。
実験の詳細は、次の通りである。被験者を教師役とし、権威(教授)と生徒役は共に実験者であり仕掛け人である。被験者である教師役には「人は罰を与えられることにより学習することができるという仮説を証明する」と伝える。被験者は生徒役(仕掛け人)に「2つで1組となる単語の組み合わせ」を4組提示し、記憶するよう伝える。
生徒役がそれらを記憶した後、被験者である教師役は出題した問題に対する適切な回答を選択肢から選ぶように生徒役に伝える。ここで、生徒役が誤った答えを述べた場合、教師役(被験者)は生徒役に対して電気ショックを与える。
電気ショックは15V(ボルト)から始まり、15V刻みで30段階、450Vまで用意されている。生徒が回答を誤る度に、教師役の被験者は一段階ずつ電圧を引き上げていく。電気ショックを操作するスイッチには、それぞれ次のような表示がなされている。
【電気ショックの種類】
・15V~60V:軽い電撃、
・75V~120V:中位の電撃
・135V~180V:強い電撃
・195V~240V:強烈な電撃
・255V~300V:激烈な電撃
・315V~360V:超激烈な電撃
・375V~420V:危険:過激な電撃
・435V~450V:☓☓☓
被験者である教師役には事前に45V(軽い電撃)を体験させ、電気ショックの衝撃がどのようなものであるかを体感してもらう。
教師役の被験者が生徒に対して電気ショックを与える際、与える電気ショックのボルト数を読み上げるよう促す。もしも教師役が電気ショックを与えることをためらい、権威(教授)に反抗すると教授は次のような応答する。
1.「続けてください。(そのまま進めてください)」
この催促で教師役が実験を再開しない場合は、次の言葉で再開を促す。
2.「続けていただかなければ実験が成立しません。」
この催促でも実験を再開しない場合は、次の言葉で再開を促す。
3.「とにかく続けていただけなければ本当に困ります。」
この催促でも実験を再開しない場合は、次の言葉で再開を促す。
4.「他に選択の余地はありません。絶対に続けてください。」
この催促で実験が再開されなければ、そこで実験を中止する。
生徒役にはあらかじめ、特定のボルト数に達すると次のような反応をするよう伝えておく。
・120V:苦痛を訴える
・150V:実験の中止を訴え、辞退する旨を告げる
・180V:心臓の危険を訴え、命の危険があることを告げる
・330V:反応しない(気絶・失神を演じる)
実験の結果
一般人40人を対象として事前に予想を尋ねた結果、最も高い電気ショックで300V(3人)だった。450Vまで到達するのは、1,000人に1人程度だと考えられた。
実験が始まると、電気ショックによって生徒役が苦しむと教師役の被験者は実験を続けることに抵抗した。しかしそれでも教授(権威)が電気ショックを与えることを促すと、被験者は生徒役に電気ショックを与え続けた。教師役の被験者は葛藤から手を握り締め、うめき声を上げ、発汗、舌のもつれ、などの症状をみせ、ひきつけを起こした被験者や精神治療が必要になった被験者もいた。
電気ショックを与えることを止めた段階と人数は、以下のようになった。
・15V~285V:0人
・300V:5人
・315V:4人
・330V:2人
・345V:1人
・360V:1人
・375V:1人
・390V~435:0人
・450V:26人
教師役の被験者の4人に3人が、生徒役が気絶・失神後も電気ショックを流し続け、最終段階の450Vまで到達した被験者は26/40人(65%)だった。
この実験の結果は、人が権威に命令されたとき、「倫理観や道徳観を無くす」のではなく「悪しき行為だと理解していてもその悪しき行為を実行してしまう性質を持つ」という点を示している。
人は権威に命令されたとき、その行動を止めることが困難となる。冒頭で述べた「自分は命令に従っただけ」という認識は、犯罪者ではない一般人にも生じうる。指示・命令する側は“直接の実行者”ではないことから罪の意識が薄れ、指示・命令される側は“直接の発案者”ではないことから罪の意識が薄れる。しかし、こうしたメカニズムによって倫理・道徳による抑制が効かずに、組織や社会の中で犯罪が形成されていくことになる。